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奥の細道

学習の目標

 われわれは文学において、西欧に劣らぬ立派な古典を数多くもっています。古典は民族の精神であり、多くの古典をもっているということは民族の誇りであります。古典を読み,古典を理解することは、自分の精神を高く育てるために大切な学習なのです。こゝに、芭蕉の紀行文、「奥の細道」を取上げたのもそのような意図からです。

学習の準備

 元禄二年、芭蕉四十六才の時、奥羽長途の旅を思いたち、三月二十七日、門人曾艮を伴って発足し、四月朔日  日光参拝、同月二十一日 白河の関を越え、それより進んで、仙台、松島、平泉に至り、尿前の関を越えて出羽に入り、最上川を下り、進んで酒田の湊に至り、象潟の景を賞し、越後を経て加賀に入り、金沢に逗留し、山中温泉に至ったが、曾良は腹を病んだので先立ち、伊勢に向った。芭蕉はそれよりひとり越前の境に進み、吉崎の入江に舟を浮べ、永平寺を礼し、敦賀の湊に迎えた門人路通に伴われて、美濃に出で、大垣の如行の家に入った。然るに落ちつく間もなく伊勢の御遷宮を拝もうと九月六日川舟で上った。この時の紀行が「奥の細道」である。
 
        月日は百代の過客

(1)           (2) 

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮べ、

 

馬の口とらへて老をむかふるものは、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く

                   (3)         (4)

旅に死せるにあり。予もいづれの年よりか片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず。

 (5)       (6)   (7)               (8)

 海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蛛の古巣をはらひて、やゝ年

              (9)        (10)

も暮れ、春立てる霞の空に、白川の関越えんと、そぞろ神のものにつきて

       (11)          

心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取るもの手につかず。股引の破れ

              (12)                              

をつづり、笠の緒付けかへて、三里の灸すうるより、松島の月先づ心に

               (13)

かゝりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに

     (14)

     草の戸も住みかはる代ぞ雛の家

 (15)           (16)           (17)

 表八句を庵の柱に懸け置く。弥生も末の七日、あけぼのゝ空朧々として、

  (18)  (19)

月は有明にて光をさまれるものから、不二の峯かすかに見えて、上野・谷

      (20)

中の花の梢、またいつかはと心ぼそし。

 (21)

睦じきかぎりは宵よりづどひて、舟に乗りて送る。

(22)             (23)              (24)

千住といふ処にて舟をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻の

 

巷に離別の泪をそゝぐ。

    (25)

    ゆく春や鳥啼き魚の目は泪

   (26)

これを矢立の始めとして、行く道なほ進まず。人々は途中に立ちならびて、

 

うしろ影の見ゆるまではと見送るなるべし。

         (27)          (28)        (29) 

 ことし元禄二とせにや、奥羽長途の行脚ただかりそめに思ひ立ちて、呉

 

天に白髪のうらみを重ぬといへども、耳にふれて、未だ目に見ぬさかひ、

              (30)           (31)

もし生きて帰らばと、定めなき頼みの末をかけ、その日漸く草加という宿

                        (32)

に着きにけり。痩骨の肩にかゝれるものまず苦しむ。ただ身すがらにと

        (33)   (34)

出で立ち待るを、紙子一重の夜の防ぎ、ゆかた、雨具、墨筆のたぐひ、

   (35)                       (36)

あるはさりがたき餞などしたる、さすがにうち捨てがたくて、路次のわづ

 

らひとなれるこそわりなけれ。
 
      白 河 の 関

 (1)

 心許なき日数重なるまゝに、白川の関にかゝりて旅心定まりぬ。

(2)            (3)            (4)

いかで都へと便りもとめしもことわりなり。中にもこの関は三関の

    (5)         (6)      (7)

一にして風騒の人心をとどむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青

  (8)        (9)

葉の梢なほあはれなり。卯の花の白妙に、

          (10)          (11)

茨の花の咲きそひて、雪にも越ゆる心地ぞする。古人冠を正して衣

        (12)

装を改めし事など清輔の筆にもとどめおかれしとぞ。

     (13)

     卯の花をかざしに関の晴着かな

 (14)                   (15)

 とかくして越えゆくまゝに、阿武隈川を渡る。左に会津根高く、右

 (16) (17) (18)   (19)  (20)

に岩城・相馬・三春の庄・常陸・下野の地をさかひて山連る。
 
       松  島

 (1)            (2)           (3)  (4)

 抑ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡そ洞庭・西

                (4)     (5)

湖を恥じず。東南より海を入れて、江の中三里、浙江の潮を湛ふ。

(7)

島々の数をつくして、欹つものは天を指さし、伏すものは波に匍匐ふ。

 

あるは二重にかさなり、三重にたゝみて、左に分れ、右に連る。負へ

                       (8)

るあり、抱けるあり。児孫を愛するが如し。松の緑こまやかに、枝葉

(9)                         (10)

汐風に吹き撓めて、屈曲おのづからためたるが如し。その気色●然

           (11)       (12)

として美人の顔を粧ふ。ちはやぶる神の昔、大山つみのなせるわざ

   (13)

にや。造花の天工、いづれの人か筆をふるひ、詞を尽さん。

 

     雄 島 が 磯

                     (14)

 雄島が磯は、地続きて海に出でたる島なり。雲居禅師の別室の跡、坐                                                   

                (15)

禅石などあり。はた、まつの木陰に世をいとふ人もまれまれ見え侍りて、

(16)        (17)

落ち穂・まつかさなどうちけぶりたる草のいほり静かに住みなし、いか

 

なる人とは知られずながら、まづ懐かしく立ち寄るほどに、月海に映り

  (18)        (19)           (20)

て、昼のながめまた改む。江上に帰りて宿を求むれば、窓を開き二階を

   (21)          (22)

作りて風雲の中に旅寝するこそ、怪しきまで妙なるこゝちはせらるれ。

     (23)

     松島やつるに身をかれほとゝぎす

                            (24)

 予は口を閉ぢて眠らんとして寝ねられず。旧庵を別るる時、素堂.松

      (25)  (26)            (27)

島の詩あり。原安適、松がうらしまの和歌を贈らる。袋を解きてこよひ

           (28)

の友とす。かつ、杉風・濁子が発句あり。
    
      平  泉

    (1)     (2)     (3)

 十二日平泉を志し、あねはのまつ、緒だえの橋など聞き伝へて、人跡

    (4)           (5)

まれに、雉兎・芻蕘の行きかふ道、そこともわかず、つひに道ふみたが

  (6)           (7)           (8)

へて石巻といふみなとに出づ。黄金花咲くと詠みて奉りたる金華山海上

        (9)

に見渡し、数百の回船入江につどひ、人家地を争ひて、かまどの煙

 

立ち続けたり。思ひかけずかゝる所にも来たれるかなと、宿借らんとす

                (10)

れど、更に宿貸す人なし。やうやくまどしき小家に一夜を明かして、明

              (11)   (12)    (13)

くればまた知らぬ道迷ひ行く。袖の渡り、尾ぶちの牧、真野の萱原など、

                           (14)

よそ目に見て、はるかなる堤を行く。心細き長沼にそうて、戸伊摩とい

 

ふ所に一宿して、平泉にいたる。その間二十里ほどと覚ゆ。

 (15) (16)(17)       (18)             (19)

 三代の栄燿一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡

          (20)          (21)     (22)

が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。まづ高館に登れば、北上川

 (23)          (24)  (25)

南部より流るゝ大河なり。衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて

(26)      (27)     (28)       (29)

大河に落ち入る。泰衝らが旧跡は衣が関を隔てて、南部口をさし堅め、

               (30)(31)          (32)

えぞを防ぐと見えたり。さても、義臣すぐつてこの城にこもり、功名一

          (33)

時のくさむらとなる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、か

 

さうち敷きて、時の移るまで涙を落し侍りぬ。

     (34)

     夏草やつはものどもが夢の跡

     (35)

     うの花に兼房見ゆる自毛かな

          (36)(37)  (38) (39)       (40)

 かねて耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像を残し、光堂は三

       (41)       (42)

代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散り失せて、珠のとびら風にや

                 (43)

ぶれ、黄金の柱霜雪に朽ちて、すでに頽廃空虚のくさむらとなるべきを、

          (44)             (45)

四面あらたに囲みて、甍を覆うて風雨をしのぐ。しばし千歳のかなみと

 

はなれり。

     (46)

     さみだれの降り残してや光堂
 
          立 石 寺

  (1)   (2)         (3)    (4)

    山形領に立石寺といふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、ことに清

                       (5)

閑の地なり。一見すべきよし人々勧むるによりて、尾花沢より取つて

                          (6)

返し、その間七里ばかりなり。日いまだ暮れず。ふもとの坊に宿借

             (7)            (8)

りおきて、山上の堂に登る。岩にいはほを重ねて山とし、松柏年ふり、土

 

石老いて、こけ滑らかに、岩上の院々とびらを閉ぢて物の聞えず。岸を

               (9)

めぐり、岩をはひて仏閣を拝し、佳景寂寞として、心澄み行くのみ覚ゆ。

     (10)

     閑かさや岩にしみ入るせみの声
 
      最 上 川

     (1)       (2)      (3)  (4)

 最上川は陸奥より出でて、山形を水上とす、碁点・隼などいふ恐ろしき

     (5)            (6)

難所あり。板敷山の北を流れて、果ては酒田の海に入る。左右山覆ひ、茂

                       (7)     (8)

みの中に舟をくだす。これに稲積みたるをや稲舟といふならし。白糸の滝

             (9)

は青葉のひまひまに落ちて、仙人堂岸に臨みて立つ、水みなぎつて舟あや

 

ふし。

         

   さみだれをあつめて早し最上川
 
      象  潟

 

 江山水陸の風光、数を尽して、今象潟に方すをせむ。酒田のみなとより

                                                                              

東北の方、山を越え、いそを伝ひ、いさごを踏みて、その際十里。日影

                                                               

やゝかたぶくころ、潮風まさごを吹きあげ、雨朦朧として鳥海の出隠る。

              

暗中に模索して、雨もまた奇なりとせば、雨後の晴色また頼もしと、海人

 

のとま屋にひざを入れて、雨のはるゝを待つ。

 

 その朝、天よく晴れて、朝日はなやかにさし出づるほどに象潟に舟を浮

              

かぶ。まづ能因島に舟を寄せて、三年幽居の跡をとぶらひ、向かふの岸に

                    

舟をあがれば、花の上こぐと詠まれし櫻の老い木、西行法師のかたみを残

            

す。寺を干満珠寺といふ。

     (16)               (17)

 この寺の方丈に坐してすだれを巻けば、風景一眼のうちに尽きて、南に

             (18)   (19)

鳥海天を支へ、その影映りて江にあり。西はむやむやの関路を限り、東に

 

堤を築きて、秋田に通ふ道はるかに、海北に構へて、波うち入る所を汐越

                   (20)

といふ。江の縦横一里ばかり、面影松島に通ひてまた異なり。松島は笑ふ

                            (21)

がごとく、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみを加へて、地勢魂を悩

 

ますに似たり。

       (22)

       汐越やつる脛ぬれて海涼し
 

学習の基本

1)「門出]について、次の事柄に答えなさい。
 (イ)「片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず」とは、どういう意味ですか。
 (ロ)「江上の破屋にくもの古巣を払ひて、やゝ年も暮れ」を詳細に解釈してみなさい。
 (ハ)「春立てるかすみの空に …… 取る物も手につかず」とはどんな心境を述べたものでしょうか。
 (ニ)「草の戸も住みかはる代ぞ雛の家」の句を解釈しなさい。
 (ホ)「弥生も末の七日 …… またいつかはと心細し」の意味を述べなさい。
 (へ)「行く春や鳥鳴き魚の目は泪」の句は、どんな心境を述べたものでしょうか。
 (ト)「定めなき頼みの末をかけ」とあるが、それはどんなことを言っているのでしょうか。
 (チ)「あるはさりがたきはなむけしたるは …… 路次の煩ひとなれるこそわりなけれ」を解釈してみなさい。
 (リ)文中の語句を解釈して、次に掲げるものと比較してみなさい。
 
1)月日は百代の過客( 月日即ち光陰は、永遠の旅人であるという意味。唐の李白の詩に「それ天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客にして、浮世は夢のごとし、歓びをなす幾何ぞ」とあるから、採ったものである)(2)行きかふ( 行き通う。行き違う。行き来するの意)(3)片雲の風にさそはれて(ちぎれ雲が風にさそはれて)(4)漂泊の思いやまず(さすらいの旅に出たいとの志がとめられない)(5)海浜にさすらへ( 芭蕉は貞享四年には尾張の鳴海から渥美半鳥の伊良潮岬に、また翌五年には和歌の浦から須磨や明石を巡ったので、このようにいったのである)(6)去年の秋(貞享五年の秋をさす)(7)江上の破屋( 河のほとりにある粗末な家。ここでは隅田河畔にあつた芭蕉庵をさす)(8)やゝ年も暮れ(ようやく年も暮れ)(9)白河の関(福島県西白河郡古関村にあつて、奥州の入口に当る)(10)そゞろ神(人の心をそゝのかす神で、迷信上の作り神である)11)道祖神(道路を守り、旅を守る神で、さえの神または、くなどの神の名がある)(12)三里に灸すうる(膝頭の下に灸をすえる。このようにすると健脚になるという)(13)杉風の別墅(杉風の別荘。杉風は芭蕉の門人である)(14)「草の戸」の句(草の戸とは、粗末な家の意。句の意味は、「このあばらやも、人が住みかわることになると、こんどは雛でも祭られる賑わしい家となる」と解釈しておく)(15)表八句(連句を認めるときには、懐紙を横に二つ折にして記すのであるが、その第一枚目の紙の表に記す八句を表八句という)(16)弥生も末の七日(三月二十七日)(17)朧々(おぼろに霞んださま)(18)有明(夜が明けて、まだ空にかゝつている月のことで、つまり残月という意味)(19)光をさまれる(光が消えてしまっている)(20)またいつかはと(また何時見るであろうかと)(21)睦まじき限り(睦まじく交際した人)(22)千住(東京の北にあたる郊外地)(23)前途三千里の思ひ(前途の遙かなるを淋しく思う心。源氏物語の須磨の巻に『うちかえり見給へるに、来し方の山は霞はるかにて、まことに三千里の外の心地するに』から採ったものであろうか)(24)幻のちまた(幻のちまた(幻のようなはかない気持で見た町)(25)「行く春」の句(去り行く春に鳥も別れを惜んで啼き、魚でさえ涙を催すように思われるこの時節に、私は弟子達と別れて、遠い旅に上るのである)(26)矢立のはじめ(矢立とは、矢立硯のこと。矢立のはじめとは、この紀行文の書き始めという意)(27)にや(ここでは、推量の意に用いられているのではなく詠嘆の意に用いられている)(28)かりそめに思ひ立ちて(ほんの一時の思いつきで)(29)呉天に白髪の恨みを重ぬといへども(呉天とは呉の国の空の意であり、その呉の国は昔支那の南方にあった国家である。ここでは遠く旅する意味で呉天といったのである。「呉天に白髪の恨……」とは、旅行の苦労のある上に、さらに白髪になる恨みを重ねてもという意)(30)頼みの末をかけ(将来に希望をつなぎ)(31)草加(千住の次の宿場)(32)身すがらにと(何も持たずわが身一つで)(33)紙子一枚(紙製の衣服一枚(34)夜の防ぎ(夜の寒さの防ぎとして)(35)さりがたきはなむけ(辞退することの出来ない人からの餞別(36)路次のわづらひ(道中のやっかい物)(37)わりなし(仕方がない。ぜひもない)
2)「白河」の節について、次の質問に答えなさい。
 (イ)「いかで都へと便り求めしもことわりなり」といっているのは、どういうわけか。
 (ロ)「雪にも越ゆるこゝちぞする。」とは、どういう意味か。(ハ)「うの花」の句を解釈してみなさい。
 (ニ)「とかくして」とは、何をさすのか。
 (ホ)女中の語句を解釈した後、次に掲げるものと比較して、その正否をしらべなさい。
 
l)心もとなき日数(不安な旅の日数)(2)いかで都へ(平兼盛の「たよりあらばいかで都へつげやらん、今日白河の関は越えぬと。」という和歌を引用した) (3)ことわりなり(道理だ。もっともだ)(4)三関(三関については諸説あるが、ここでは箱根・碓氷・白河をさすものと解しておく〕(5)風騒の人(風流人。詩人や文人のことを騒人ということがある)(6)秋風を(能因法師の歌に「都をば霞と共に立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」というのがある)(7)もみぢを面影に(源頼政の和歌に「都にはまだ青葉にて見しかども紅葉散りしく白河の関」とある) (8)なほあはれなり(やはり美しいものだ。今日用いられている「あわれ」即ち哀れと混同してはならぬ) (9)白妙(真白いこと) (10)雪にも越ゆる心地ぞする(この解釈については諸説がある。1、雪のある季節に越える心地がする。2、雪の中を旅する心地がする。3、雪よりも一層白く思われる。最後の説が最も穏当であろう) (11)古人冠を正し、衣裳を改めしこと(竹田大夫国行が白河の関を過ぎた時、能因法師の歌に敬意を表し、冠を正し、衣服を改めたとの故事)(12)清輔(姓は藤原、平安朝末期の歌人で、続詞花集の撰者)(13)「うの花」の句(白河の関のあたりにはうの花が咲いて、関を美しく飾り立てゝいる) (14)とかくして(かれこれして)(15)会津根(会津地方にそびえる山々、根は嶺の意)(16)岩城(磐城国)(17)相馬(福島県相馬郡地方)(18)三春の庄(福島県田村郡三春町)(19)常陸(茨城県)(20)下野(栃木県)
3)「松島 の節において、次の質問に答えなさい。
 (イ)「枝葉潮風に吹きたわめて」を、何と解釈するべきか。
 (ロ)「いづれの人か筆を振るひ、ことばを尽くさん。」といったのは、一体どんな気持か。
 (ハ)「窓を開き二階を作りて」とある文を読んで、何か感じることはないか。
 (ニ)「松島」の句を解釈し、何故に「つるに身をかれ」といったのかを、考えてみなさい。
 (ホ)文中の語句を解釈して、次に掲げるものと比較し、正しい意味を理解しなさい。
l)ことふりにたれど(古くさい言い方ではあるが)(2)扶桑(東方の海中にあると支那人が信じた神木である。それから転じて、その木があると想像された日本の異名となる)(3)洞庭(中国湖南省にある湖)(4)西湖(中国浙江省にある湖)(5)江(湾のこと)(6)浙江(一名銭塘江といい、中国浙江省を流れる河) (7)島々の数を尽くして(多くの島々すべて) (8)こまやか(色の濃いこと) (9) 潮風に吹きたわめて(海風のために吹きいためられて) (10)●然(奥深いさま)(11)ちはやぶる(神の枕詞)(12)大山つみ(大山津見神または大山祗神などと書く。山を司る神)(13)造化の天工(宇宙を創造した神のはたらき) (14)雲居禅師(松島瑞巌寺中興の高僧)(15)世をいとふ人(世の中をいとい脱れる人。ここでは僧侶の意)(16)落ち穂(ここでは、松葉の落ちたもの)(17)うちけぶりたる(焚き煙らしている)(18)昼のながめまた改む(昼間の景色とはまた違ったものになった)(19)江上(ここでは、海のほとりの意)(20)窓を開き二階を作り(窓を開け放した階上で)(21)風雲の中(自然の風景の中)(22)あやしきまで妙なる心地はせらるれ(不思議なくらい愉快な心地がする)(23)「松島」の句(松島には、今ほとゝぎすが鳴いている。だがほとゝぎすよ。こゝは松島なのだから、松にゆかりのある鶴がふさわしいのだ。しかし鶴では声が殺風景だから、お前は鶴の姿になって、島々の上を鳴きながら飛んで行くようにせよ。そうしたら申し分がない)(24)素堂(本名は山口信章といい、芭蕉の門人である)(25)原安適(江戸深川の医者で詩歌を好み、芭蕉の友人であった)(26)松がうらしま(宮城県宮城郡七ヶ浜村菖蒲浜の海浜)(27)袋をときてこよひの友とす(詩や歌を頭陀袋から取出して今宵の慰みとした) (28)濁子(美濃大垣の人で、本名は中川甚五兵衛。芭蕉の門人)
 4)「平泉」の節において、次の質問に答えなさい。
 (イ)「緒だえの橋など聞き伝へて」の次に、どんな言葉が省かれていると思うか。
 (ロ)「思ひかけずかゝる所にも来たれるかなと」の次に、省略されていると思う言葉を書きなさい。
 (ハ)「義臣すぐってこの城にこもり、功名一時のくさむらとなる。」を解釈してみなさい。
 (ニ)「国破れて山河あり、城春にして草青みたり。」を解釈し、
  これを前文と比較するとき、芭蕉はどんなことを考えていた
でしょうか。
 (ホ)「夏草」の句を解釈し、芭蕉の心境を想像してみなさい。
 (へ)「うの花」の句を解釈しなさい。
 (ト)「さみだれ」の句を解釈しなさい。
 (チ)文中の語句を解釈して、次の解釈と対照しでみなさい。
1)平泉(岩手県西磐井郡平泉村にあって、藤原秀衡等の古城跡がある。(2)あねはの松(宮城県栗原郡沢辺村姉歯にあった松)(3)緒だえの橋(宮城県志田郡古川町にある小坂橋)(4)雉兎蒭堯(雉兎は雉や兎を獲へる者、即ち猟師。蒭は草を刈る人。堯は木こり)(5)そこともわかず(どこともわからず)(6)石巻(宮城県石巻市)(7)「黄金花咲く」の和歌(万葉集にある大伴家持の和歌「すめらぎの御代栄えんとあづまなるみちのく山に黄金花咲く」を指したのである)(8)金華山(宮城県牡鹿半島の東南にある島)廻船(荷船)(10)まどしき(まずしい)(11)紬の渡り(宮城県桃生郡橋浦村にある北上川に臨んでいる渡し場)(12)尾ぶちの牧(石巻の東の岡にあった牧場(13)真野の萱原(宮城県牡鹿郡稲井村にある)(14)戸伊摩(宮城県登米郡登米町)(15)三代(ここでは藤原清衡・基衡・秀衡の三代をさす)(16)栄耀(奢り。栄華)(17)一睡のうち(一ねむりする間。支那の昔、廬生という者が、趙の都の邯鄲で呂翁という老人から枕を借りて一眠りした。すると栄達を極めた夢を見て目が覚めると、たきかけていた高梁がまだよく煮えていなかった。そこで、廬生は富貴栄達は結局一場の夢に過ぎないと悟ったという故事から出た句である。これから人生名利のはかなさを「一睡の夢」「一炊の夢」「廬生の夢」「邯鄲の夢」などというようになったのである)(18)大門(総門。外構えの正門)(19)秀衝が跡(伽羅の御所という)(20)金鶏山(秀衡が富士山に真似て作った平泉鎮護の山で、山頂に黄金造の雌雄の鶏を埋めた)(21)高館(秀衡の居城。後に義経がこゝに拠ったので、判官館ともいう(22)北上川(岩手県を北から南へ流れ、仙台湾に注ぐ)(23)南部(近世奥州北部の称)(24)衣川(平泉の北を東に流れて、北上川に合する川)(25)和泉が城(秀衡の三男、和泉三郎忠衡の居城)(26) 大河(北上川をさす〕(27)泰衡等が旧跡(泰衡屋敷が平泉館の南にある)(28)衣が関(高館の北、白鳥村の附近にあった関)(29)南部ロ(南部方面から平泉に入りこむ門口)(30)義臣(忠義の臣)(31)すぐって(選び抜く)(32)功名一時のくさむらとなる(功名手柄もほんの一時のもので、その跡はやがて草むらとなった)(33)国破れて…… 草青みたり(国は破れ滅びてしまっても山河は依然として残り、春がかえってくると城のあたりには葉が青々と茂っいる。杜甫の詩「国破山河在、城春草木深……」を引用したものである)(34)「夏草」の句(その昔武士たちが功名手柄を夢みたであろうこの古戦場も今はすっかり夏草が生い茂っている)(35)「うの花」の句(こゝに咲いている白い卯の花を見ると、義経のためにその老体を提げて奮戦した増尾士郎兼房の白髪の俤が眼前に浮んでくる。兼房とは増尾七郎権頭兼房のことで、義経のために奮死した。時に六十余歳の白髪の老人であった) (36)二堂(中尊寺の境内にある経堂と光堂とをさす)(37)開帳(仏壇のとびらを開いてその中の仏像を公衆に拝ませること)(38)経堂(一切経を蔵する堂)(39)三将(清衡・基衡・秀衡)(40)光堂(金色堂ともいう。三間四面の堂で、清衡が鳥羽天皇の勅を奉じて建立したもの)(41)三尊播(ここでは、阿彌陀如来(中央)勢至菩薩(左)観世音菩薩(右)をさす)(42)七宝(金・銀・瑠璃・●●(しやこ)・瑪瑙・真珠・琥珀)(43)頽廢空虚(あれすたれて跡方もなくなる)(44)甍(屋根)(45)千歳のかたみ(古い記念物)(46)「さみだれ」の句(総ての物がうっとうしく見える今日この頃なのに、この光堂ばかりはきらきらと美しく輝いて見えるが、こゝだけ五月雨が降り残しているのであろうか)
5)「立石寺」の条において、次の質問に答えなさい。
 (イ)「尾花沢より取って返し」とあるによって、芭蕉の心境がどんなものであったかを考えてみましょう。
 (ロ)「佳景寂寞として、心澄み行くのみ覚ゆ」とあるを見て、どんなことが察せられるか。
 (ハ)「閑かさ」の句から、どんな感じをうけるか。
 (ニ)文中の語句の解釈を試み、次の解と比較してみなさい。
1)山形領(山形藩の領地で、藩主は堀田氏。今の山形市地方)(2)立石寺(山形市の東北方三里なる山形県東村山郡山寺村にある天台宗の古寺)(3(慈覚大師)天台宗の高僧。平安朝の人)(4)開基(寺を創立する)(5)尾花沢(山形県北村山郡尾花沢町)(6)坊(僧侶の住居)(7)岩にいはほを重ねて(幾重にも岩石が積み重なって)(8)松柏年ふり(松柏は、松とかしわであるが、転じて常緑木の総称にも使用する。即ち、松や檜の老木)(9)佳景寂寞として(景色は美しくひっそりして)(10)「閑さ」の句(山寺の岩にしみこむような蝉の声を聞いていると、ひっそりとした感じが身にしみじみとせまってくる)
6)「最上川」の条において、次の質問に答えなさい。
 (イ)「これに稲積みたるをや稲舟といふならし。」を解釈してみなさい。
 (ロ)「白糸の滝は青葉のひまひまに落ちて」とは、どんな光景であろうか。
 (ハ)(文中の語句を解釈して、次の解と比較してみなさい。
 (1)陸奥(奥羽地方の中、羽前と羽後を除いた地方)(2)山形
を水上とす(山形を水源地とする)(3)碁点(山形県北村山郡塩
川村にある瀬)(4)隼(山形県北村山郡大高根村富並の南にあ
る急流)(5)板敷山(山形県最上郡古口村の西方にある山)(6
酒田(今の酒田市)(7)いふならし(いふなるらしの略で、いう
のであろうとの意)(8)白糸の滝(古口村と大蔵村合海との間に
ある滝の名)(9)仙人堂(古口村にある堂の名)(10〕「さみだれ」
の句(平生でさえ流れの急な最上川は、今しも支流にみなぎる五月
雨を集めて、何とまあ水勢のすさまじく早いことよ)
7)「象潟」 の条において、次の質問に答えなさい。
(イ)「江山水陸の風光数を尽して、今象潟に方寸をせむ。」を解釈してみなさい。.
(ロ)「暗中を模索して…… 雨のはるゝを待つ。」とあるを見て、芭蕉の人柄を想像してみなさい。
(ハ)「能因島に舟寄せて、三年幽居の跡をとぶらひ」とあるを解釈しなさい。
(ニ)「地勢魂を悩ますに似たり」とは、どういう意味か。
(ホ)文中の語句を解釈し、次に掲げるものと比較研究しなさい。
l)江山(水と山)(2)風光、数を尽くして(よい景色をことごとく見てきて)(3)象潟(秋田県由利郡象潟町)(4)方寸をせむ(方寸は心。せむは促す意。つまり、心がせくという意味)(5)その際(その間。その距離)(6)朦朧(おぼろ)(7)鳥海の山(山形と秋田との県境にそびえる名山)(8)模索(手さぐり)(9)雨もまた奇なり(雨もまた一風変った趣がある)(10)海人のとま屋(とまでふいた漁師の小屋)(11)能因島(能因法師が閑居した跡と伝えられる。能因は平安朝の歌僧)(12)幽居(俗塵をさけて静かに住むこと)(13)とぶらひ(訪ねる) (14)「花の上こぐ」の歌(全文は「象潟の櫻は浪に埋れて花の上漕ぐ蜑の釣舟」というのである)(15)干満珠寺(象潟駅の北方十五町位の所にある寺) (16)方丈(寺院の住職の住む正室。一丈四方という意)(17)一眼のうちに尽きて(一目でことごとく見渡され)(18)江(ここでは、入江または湾の意)(19)むやむやの関(有耶無耶関ともいう。睦前と羽前の国境にある笹谷峠にあった)(20)通ひて(似ている)(21)地勢魂を悩ます(地勢は地形という意味であるが、こゝでは、この土地の風情という意味に解すべきであろう。魂を悩ますとは、物さびしい感情をそゝられるという意(22)「汐越」の句(汐が越えてくる渚に鶴が下りているが、その長い脛が波に濡れているのは如何にも涼しい情景である)

学習の整理

 次の部分については、特に注意して研究しなければならない。
(イ)月日は百代の過客にして…… 漂泊の思いひやまず。──月日はちょうど永久に過ぎ去る旅人のようなものであり、往ったり来たりする年もやはり旅人に似ている。舟の上で一生を水の上に浮んで暮らす舟人や、馬の轡を執って生涯を終える馬子は、毎日旅にあって旅の空を自分の家としているのである。昔の詩人達も旅で死んだものが多い。自分もいつの年からかちぎれ雲が風に吹き漂わされるように諸方を歩き廻って見たいという思いがしきりに起こってとどめられないというのである。この一節は奥の細道の序とも見るべきもので、芭蕉の思想をうかがうことが出来ると思う。
 (ロ)春立てる霞の空に…… 取る物手につかず──春になって霞の立った空の景色を眺めながら、今度は白河の関を越えて奥州に遊んで見たくなった。そう思い立つと、もう人を誘惑する神につかれて心が狂ったようになり、道祖神が自分を招いているようで、何をしても少しも落着かないと、旅に憧れ旅を思い立っては、矢も盾もたまらないという気持を、いかにも如実に描いていると思う。
 (ハ)曙の空朧々として …… またいつかはと心細し。──夜明方の空がほんのりと霞んで、月は有明のことであるから、光が淡く消えてはいるが、富士山はかすかに見えて気持よく、上野や谷中の櫻は美しく梢を飾っているのであるが、いつ又帰京して見ることが出来るかと思うと心細くなると、別離の名残りを惜しんでいるのである。
(ニ)耳にふれて…… 宿にたどり着きにけり。───話には聞いたことがあってもまだ実際には見たことのない土地を見物して、若し無事に生きて帰ることが出来れば幸せだと思って、あまりあてにもならない望みを将来にかけながら行くと、その日やっと草加という宿にたどり着いたのであったと、旅に出た日の感想を洩しているのである。
(ホ)いかで都へと便り求めしもことわりなり。──その昔平兼盛が何とかして都へ今日白河の関を無事越えたことを知らせてやりたいものだと便りを求めたのも至極尤もだというのであって、旅に出てはじめてこうした心持がしみじみわかると述懐しているのである。
(へ)秋風を耳に残し…… 青葉の梢なほあはれなれ。──能因法師の歌に「秋風ぞ吹く」とあるその秋風の音を耳に聞く思いと、頼政の歌に「紅葉散りしく」とあるその紅葉の美しさを眼に見るような感じとをもって、今この関の青葉の梢を見ると一層趣が深いと、自ら風騒の人に似つかわしい感懐を述べている。
(ト)まつの緑こまやかに…… 屈曲おのづからためたるがごとし。──  松の緑は濃くて、枝葉は汐風に吹き曲げられて、その曲り方が何となく人の手でしたようである。
(チ)まつの木陰に…… 昼のながめまた改む。──松の木蔭に世を脱れて住んでいる人も稀には見えて、落葉や松笠などを焚いて、粗末な家に長閑に住んでいるので、どんな人かわからないけれども、何となく懐かしくなって立ち寄っていると、月が海に映って、昼の眺めとは又異った趣があるというのであって、閑寂の境地に吸い入れられて行ったあたり、閑寂を愛し閑寂に親しんだ芭蕉の面目が躍如としているではないか。
(リ)数百の回船…… かまどの煙立ち続けたり。── 数百の運送船が港に集り、人家は地を争う程にたてこんで、竈の煙が立ち続いているというのであって、繁華な港市の面影が眼前に髣髴として見えるではないか。
(ヌ)義臣すぐつてこの城にこもり…… 時の移るまで涙を落とし侍りぬ。── 忠義の武士どもを選び抜いて、この城にたて籠つて功名を樹てたが、それも往時で、今は茫々たる草原となってしまった。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり。」と杜甫の詩を口吟みながら、持っていた笠を敷いて坐り、時の経つのも忘れて懐古の涙にむせんだのであったというのであって、名利畢竟何するものぞといったような感懐に耽ったことが想像される。
(ル)七宝散り失せて…… しばし千歳のかたみとはなれり。── 七宝の飾りは散り失せてしまい、珠をちりばめた扉は風に破れ、金箔を押した柱は霜や雪のために腐って、このままにして置けば最早や破れくづれて何にもならない草深いところとなるのを、堂の四面を新しく囲んで、屋根を覆うて風や雨を防いでいる。これで古い記念物として一時保存することが出来るようになったわけである。
(ヲ)岸をめぐり…… 心澄み行くのみ覚ゆ。水流のほとりを廻り、岩の上を這うて仏殿に参拝したが、境内の景色が美しく、ひっそりとして、心がすんで行くのが感じられる。
(ワ)白糸の滝は青葉のひまひまに落ちて…… 舟あやふし。── 白糸の滝は青葉の隙間から見え、仙人堂はその岸のそばに立っている。水かさが増して船が危い。
(カ)暗中を模索して……… 雨のはるゝを待つ。── 暗闇の中を手さぐりするようにして進んだが、この雨の景色もまためずらしいものとするならば、雨後の晴れた景色はまた一段と愉快であろうと思って、漁夫の粗末な家に膝を入れて、雨のはれるのを待ったというのであって、「雨もまた奇なりとせば」というあたり、芭蕉の風流を偲ぶに足るものがあると思う。
(ヨ)松島は笑ふがごとく…… 地勢魂を悩ますに似たり。──  松島は笑っているようであり、象潟は怨んでいるようである。寂しさに悲しみを添えて、この土地の景色は人の心を悩ましているようなところがある。ここでは、松島と象潟との比較論を試みているのである。かくて象潟の印象は一層深まったことと思う。
2)俳文とは俳味を帯びた文章で、簡潔で機智的なのが特色である。次に最も優れたと思われるものを若干挙げるから今一度その妙趣を味ってもらいたい。
(イ)春立てるかすみの空に白河の関越えんと
(ロ)あけぼのの空朧々として…… また何時かはと心細し。
(ハ)呉天に白髪の恨みを重ぬといへども…… 定めなき頼みの末をかけ、
(ニ)秋風を耳に残し…… 青葉のこずゑなほあはれなり。
(ホ)うの花の白妙に…… 雪にも越ゆるこゝちぞする。
(へ)松島は扶桑第一の好風にして…… 浙江の潮をたゝふ。
(ト)まつの緑こまやかに…… ことばを尽くさん。
(チ)まつの木陰に世をいとふ人もまれまれ見え侍りて……昼のながめまた改む。
(リ)窓を開き二階を作りて…… 怪しきまで妙なるこゝちはせらるれ。
(ヌ)義臣すぐってこの城にこもり…… 時の移るまで涙を落し侍りぬ。
(ル)七宝散り失せて…… 甍を覆うて風雨をしのぐ。
(ヲ)岸をめぐり…… 心澄み行くのみ覚ゆ。
(ワ)日影やゝかたぶくころ…… 雨のはるゝを待つ。
3)俳文には、所々省略して、簡潔にしたものが見受けられる。即ち、次に示す傍点の部分は省略されている部分である。
(イ)春立てるかすみの空を眺めつゝ
(ロ)いまだ目に見ぬさかひを見得て
(ハ)緒だえの橋など聞き伝へて行くほどに
(ニ)思ひかけずかゝる所にも来たれるかなと驚きて
(ホ)城春にして草青みたりとロ吟みつゝ
 
4)「奥の細道」の中には、文法上注意しなければならないものが時々見受けられる。次に例を挙げて説明しておこう。
(イ)「西湖を恥ぢず。」とあるは、「西湖を恥かしむ。」とするか、または「西湖に恥ぢず。」とするが正しい。
(ロ)「児孫を愛すがごとし。」とあるは「児孫を愛するがごとし。」とするが正しい。
(ハ)「昼のながめまた改む。」とあるは、「昼のながめまた改まる。」とするが正しい.しかしこの場合は、特に他動詞を用いて意を強めたのである。次の場合も同様である。
(ニ)「枝葉潮風に吹きたわめて」とあるは、「枝葉潮風に吹きたわめられて」とするが正しい。
(ホ)「金華山海上に見渡し」とあるは、「金華山海上に見渡さ
  れ」とするが正しい。
 
5)次の語句は、何れも譬喩〈ひゆ〉(たとえ)であることを、知らねばならない。
(イ)片雲の風に誘われて(ロ)くもの古巣を払ひて
(ハ)そゞろ神のものにつきて(ニ)道祖神の招きにあひて
 
6)次の語は、含意〈がんい〉(文字通りでない意味を含む)の語であるから、そのつもりで解釈しなければならない。
(イ)草の戸 (ロ)雛の家
 
7)次の語句は、何れも補説(説明を補う)を要するものである。
 (イ)またいつかはと (ロ)むつまじき限り
 (ハ)幻の巷 (ニ)前途三千里の思ひ (ホ)魚の目は涙
 
8)次の語句は、古歌を引用したものであるから、その意味を述べる必要がある。
 (イ)都へ 便り求めし (ロ)秋風を耳に残し (ハ)もみじを面影にし
 

学習の発展

1)「旅と芭蕉」という題の下に、その感想を五百字以内でまとめてみなさい。
2)「立石寺」の項を、適当なロ語文に書き直してみなさい。
 

参考資料

 作者 芭蕉、姓は松尾、名は宗房、伊賀上野の産である。長じて、その地の城代藤堂良精の息、主計良忠の近侍となったが、主君が和歌・俳諧を好んだので、芭蕉は多分にその感化を受けたものと思われる。寛文六年二十三歳にして主君の逝去に遇い、京に上って故主の師北村季吟の門に俳諧を学んだが、寛文十二年二十九歳にして江戸に出た。芭煮は、当時江戸を風靡していた談林風の俳諧に親しんだが、軽浮な俳風に満足することが出来なかったので、別に新機軸を出さんものと日夜肝膽を砕いた。かゝるうちにも芭煮の門に集まる者は次第に増加して行った。この頃、芭蕉は夭々軒桃青と号した。天和元年三十八歳の時、深川六間掘の杉風の別墅に移ったが、庭前に芭蕉の木を植えたので、人々はこの庵を芭煮庵と呼び、また自らも芭蕉と号した。この頃から「枯枝に鳥のとまりけり秋の暮」というような閑寂な俳境を示すに至った。貞享元年から翌年にかけて、東海道から近畿へかけての「甲子吟行」一名「野ぎらし紀行」の旅があり、この旅の間に、芭蕉七部集中の第一集「冬の日」が成り、その翌三年には第二集の「春の日」が成ったが、その中に蕉風の開眼の句として有名な「古池や蛙とびこむ水の音」が収められている。その後旅に旅を重ねたので「鹿島紀行」、「芳野紀行」、「更科紀行」などの作があるが、元禄二年芭蕉四十六歳の時には「奥の細道」の大旅行があり、引続き近畿巡歴の間に「猿蓑」が成った。この句集は、蕉風の神髄を示すものとして高く評価されている。元禄四年嵯峨の落柿舎に籠った際の作に「嵯峨日記」がある。かくて元禄六年九月大阪の客舎に病み、翌十月門弟等に見守られながら「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」を辞世の句として五十一年の生涯を閉じたのであった。
2)蕉風 芭蕉によって開かれた俳諧の一派を蕉風または正風という。芭蕉は、はじめ松永貞徳一派によって代表せられた古風俳諧を、次いで西山宗因らによって創められた談(壇)林風の俳諧を学んだが意に満たないものがあった。何故かというに、前者は形式に流れて新鮮味を欠き、後者は軽薄放縦で典雅の趣に乏しかったからである。かくて苦吟に苦吟を重ねた翁は、深い内観による心境の錬磨と旅の経験による自然観照の眼とによって、遂に風雅閑寂の境地を開拓し、当時の俳壇に一新紀元を劃したのであった。
3)俳諸七部集  蕉門の作品を集めたもので「冬の日」(貞享二年)、「春の日」(貞享三年)、「曠野」(元禄二年)、「ひさご」(元禄三年)、「猿蓑」(元禄四年)、「炭俵」(元禄七年)、「続猿蓑」(元禄十一年)、の七部を指すのである。
4)原典 この課の文は、松尾芭蕉の「奥の細道」から抜粋したものであることは、今改めて説くまでもない。

東京教育学院の教育

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画像:高卒ゼミ 高校卒業認定試験合格講座
画像:中学講座
画像:ボールペン習字