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望郷五月歌

学習の目標

 この詩には、作者がその故郷である紀伊の国(和歌山県)に寄せた心情がうたわれています。もともと、詩はことさらに作り出すものではなく、自然に覚える感興にうながされて、作者の心情や感覚が表現されたものだといわれています。したがって、こういうような意味において、すぐれた詩であるならば、かならず読む者の心を強く動かすことでしょう。
 そして、この詩を学習するに当っても、自然な態度で読み味わい、正しく理解するように学習を進めましょう。
 なお、この詩には、古語やさまざまな修辞なども用いられているので、学習上、難しい点もありますがじゅうぶんに学習してください。

学習の準備

 この詩の作者 佐藤春夫は、作家としての有名人です。今までにこの作家の作品を読んだことがありますか。もしあれは、その作品名、その内容、それにもられた精神などを思い起して、ノートに書いてみなさい。
 この詩は、だいたい五音七音を基とした一種の定型詩であって、いわゆる五七調に、ところどころに七五調がまじっています。そして、作者の内心にもりあがる自然の調子、また各行の長短などにもよく注意して学習しましょう。
 
 
     望 郷 五 月 歌
 
 ちりまみれなる街路樹に

 (1)

 あはれなる五月来にけり。

 2

 石だたみ都大路を歩みつつ、

 3

 恋しきや何ぞわが古里。

 4      5

 あさもよし木の国の

 6

 牟婁の海山、

          7

 夏みかんたわゝにみのり、

  8            8

 たちばなの花さくなべに

   10        11

 とよもしてなくほととぎす、

  12    13

 心して、な散らしそ、かのよき花を。

 

 朝ぎりか、若かりし日の

      14

 わが夢ぞ

         15

 そこにさぎらふ。

           16

 朝雲か、望郷の

 

 わが心

         17

 そこにいさよふ。

 

 空青し、山青し、海青し。

 

 日はかがやかに

 

 南国の五月晴れこそゆたかなれ。

 

 心も軽くうれしきに、

            18

 海の原見はるかすとて

 

 のぼり行く山べのみちは、

                         19

 すぎ・ひのき・くすの芽吹きの

20

 花よりもいみじくにほひ、

 21           22

 かぐはしき木の香薫じて、

 

 のぼり行くみちいくまがり、

 

 しづかにものぼる煙の

 23      24

 見まがふや香炉の煙、

 25

 山がつが吸ひのこしたる

 26

 ひなぶりの山のたばこの

 

 つばきの葉こげて落ちたり。

                         27

 いにしへの帝王たちも通ほしし

28

 尾の上のみちは果てをなみ、

 

 ただつれづれに

 (30

 通ふべききはにあらねば、
 
 目をあげてただに望みて

 (31

 いそのかみふるき昔をしのびつつ

 (32)      33

 そぞろにも山をくだりぬ。

 (34    35

 歌まくらちりの世をはなれ小島に

      36

 立ちさわぐ波もや見むと

 (37       38

 たどり行く荒磯石原、

 (39

 丹塗り舟影濃きあたり

 

 若者のいこへるあらば、

 (40)                          41

 海の幸鯨捕る船の話も聞くべかり。

 (42

 かつは聴け、

        43                    44

 浦のはまゆふ幾重なすまつの下かげ。

 

 いざさらば、

                       45

 心ゆくけふのかたみに、

 

 荒海の八重の潮路を運ばれて

 

 流れよる千種百種

 

 貝がらの数をあつめて歌にそへ

 (46

 贈らばや都の子らに。
 

学習の基本

 わからない読みや、ことがらに、あまりとらわれないで、低い声で通読してみましょう。
 ひととうり読んで、どんな感じを受けたか。次のことばのうちに、その感じをあらわしているものがあれば、そのことばに○印をつけなさい。
 こころよい。 美しい。 のどかである。ゆるやかだ。 ゆたかである。 勇壮である。行ってみたいほどだ。
 夢のようだ。  むつかしくてわからない。
 くりかえして読み、この詩の大意をノートに書いて、次に掲げるものと比較してみましょう。
 人たれかふるさとを思わぬ者があろう。まして今は都会の五月、ちりほこりにまみれた街路樹の下を歩みながら切々としてわが故郷、和歌山県東牟婁郡の海と山とが心によみがえってくる。いざ、海面一色に晴れわたった日、山深くわけいって熊野路の自然と歴史とのふところに思うまま抱かれようか、または海岸に沿って豪快な太平洋の潮鳴を浜木綿のしげみのかげに聴こうか ──
 さあれ、この一帯の望郷歌こそ、同じ流離の思いにむせぶ貝がらと共に、遠き都人への贈りものである。
 この詩を、(イ)「ちりまみれなる街路樹に」から「そこにいさよへ」まで、(ロ)「空青し、山青し、海青し。」から「そぞろにも山をくだりぬ。」まで、(ハ)「歌まくらちりの世をはなれ小島に」から「贈らばや都の子らに。」までの三節に分け、その各節を解釈しノートに書いて、次にあげるものと比較してみなさい。
 (イ)今は都会の五月、舗装道路のよごれた街路樹の下かげをゆく時、私はしみじみと故郷紀州の海や山が恋しくてならない。今ごろは夏みかんの季節、たちばなの花咲く頃、そして野鳥もないていよう。ああ若き日の思い出眠るところ、そこにわが望郷の心は飛ぶのである。
 (ロ)空も山も海も、青一色にかがやく南国の五月晴れ、まづ紀伊国の山路をとって進もうではないか。樹々の新芽の何という美しい匂いよ。おや、山人がこしらえた代用品の椿の葉でまいた煙草の吸いがらが落ちている。それにしても、幾重にもつづくこのはてない山脈は、古来の歴史を秘めてやすやすと踏破することもできぬ ──  だから、私はただ遙かに望見するにとどめて下山した。
 (ハ)また海岸にそって、歌に名高い浜べを行け。たちさわぐ太平洋の潮騒(しおさい)に、諸君は、若い漁士のてがら話をきき、千年の松風の音に耳をすますであろう。さらは、いざ、荒海の潮によってはこばれた可憐な貝を今日の記念に、この一篇の詩をそえて、自然の愛にめぐまれぬ都会の子らへ贈るのである。
 この詩の中の語句を解釈して、次に掲げるものと比較してみなさい。
1)みすぼらしい五月がやってきた。五月(さつき)、陰暦五月。(2)敷石がしきつめてあること。舗装してあること。(3)何で、こうまで私の生れ故郷が恋しいのだろう。“ や ”は感歎の心をこめた疑問。
4)“ あさもよし”は「キ」にかかる枕詞。古昔紀伊国から善い麻裳(麻でつくった裳)を産した故であるという。“よし”は感歎詞。(5)樹木がしげり良材をいだすという意味で、木の国といわれたものが、奈良朝時代和銅年間に国名を佳い字で二字にかくという法令にしたがい紀伊国としたもの。今の和歌山県。(6)牟婁(むろ)紀伊半島の南部、すなわち和歌山県の田辺湾以南から三重県南部の熊野灘沿岸までの一帯。万葉集の昔から有名な温泉地として、または霊場として都人のあこがれの地であった。そして、この詩の作者は和歌山県東牟婁郡新宮市の生れである。(7)枝もたわむばかりに。(8)正しくいえば、ヘンルウダ科の常緑小喬木で、その果実は酸味がつよく食用にはならぬものをいうのであるが、ここでは、広く紀州名物の密柑をいったもの。五月頃白色五べんの花をつけて芳香を放つ。
9)…… と同時に。…… と共に。 ……につれて。(10)響かせて、特に鳥の場合は、鳴きさわぐの意味。(11)ホトトギス科の鳥。形は “ かっこう ”によく似ているがやや小さい。五六月頃日本に渡来して夜空に鳴く。 (12)注意して。よく気をつけて。(13)「な ……… そ」禁止の意。なおくわしくいえば、「な」が
禁止で「そ」は強めの意である。(14)夢のように、はかなくも美しく楽しい希望やもの思い。(15)「さ」は接頭語、狭の字をあてる。「きらふ」は霧がこめるの意味。(16)故郷をなつかしく望み思う。郷愁。
17)とどまりためらう。たゆたい、ちうちょする。(18)はるかに見渡す。(19)新芽の吹いてきた若葉。(20)よい意味でも、悪い意味でも素晴らしく大変なという気持の形容詞。ここでは、“ たいそうよい匂い”の意味。(21)かんばしい。(22)におって。(23)見あやまる。見ちがえる。(24)「や」は感歎。(疑問ではないから注意。)「香炉」(こうろ)香をたくうつわ。仏前などにおく。(25)山中にすむ身分の軽いもの、つまり、きこりやそまびとのことである。(26)「ひな」は田舎。地方のこと。「ぶり」は風俗。田舎風。(27)お通いなさった。(28)山のいただき。(29)はてがないのによって。瀬を早み。風をいたみ等。
30)行きかようことのできる程度の道。(31)“ふるさ”にかかる枕詞。大和国磯上部郡布留の里の地名から出た。磯城島(しきしま)の御領地の意から(やまと)の枕詞となったのと同様。(32)何となく心の進むさま。ただ何となく。(33)「 …… ぬ 」は完了。(静かに山路を下ってきてしまった。) (34)歌枕。歌によく詠まれる名所。須磨、明石、筑波嶺等。(35)俗塵(ぞくじん)にけがされた世の中。うき世。(36)まづ山を見た、今度は波も見ようの気持。「や」は感歎。(37)苦しんで進む。悩みつつ行く。(38)荒磯(ありそ)あらいそ。(39)赤い塗料のぬってある舟。日本書紀・万葉集等は、朱会保船(“あけのそほふね”という朱ぬりの船や熊野諸手船。“くまのもろたぶね”というこの地方独特な型をした舟のあったことを記録しているから、作者はそういう連想でこの句をなしたものではなかろうか。)(40)漁猟のえものの多いこと。(41)聞くことができる。聞くがよい。(42)一方では。(43)浜木綿。ひがんばな科の常緑多年生草木で、大きな葉をつけ、葉心から太い花茎をだし、夏の日に咲く傘形の香気ある白色の花は南国紀州の浜辺にふさわしいものである。(44)松の下かげに、千年かわることのない松風の音を傾聴するとよい。(45)記念に。(46〕「贈る」他人にものを贈呈する。「ばや」は自己のこうしたいという希望。

学習の整理

 (1)この詩について、いままでの学習によって、理解したところを、声をだして朗読して見なさい。
  (イ)「ちりまみれなる ……… 何ぞわが古里」(一行から四行めまで)──  せき上げるような、望郷の気持を味わうようにしつつ読む。(第一節)
  (ロ) 「あさもよし……… ゆたかなれ。」 ( 五行めから十九行めまで)──  軽快な調子で読める部分。(第二節)
    (ハ)「心も軽く………  山をくだりぬ。」 (前より二十行めから終りより十五行めまで)静かに自信に満ちた調子で読むべき部分。(第三節}
   (ニ)「歌まくら ……… まつの下かげ。」 ( 終りより十四行めから終りより七行めまで )── 山を下りて海べに遊び、漁夫の話などを聞こうと、新しい感興をおこすところであるから、すこし短かく切つて、力強く読むようにする。(第四節)
  (ホ) 「いざさらば ……… 都の子らに」( 終りから六行目から終りまで )── ゆったりとした調子で読み終る。(第五節)
 (2)さらに、今一度次の語句を正しく解釈して見るように。
  (イ)あわれなる五月来にけり───「みすぼらしい五月がやって来た。」五月の趣の深さを思い、都会のみすぼらしい街路樹を見て作者は古里の輝かしい五月の自然の山川を思い出さずにはいられないのである。
  (ロ)恋しきや何ぞわが古里。── 「なぜ、こんなに故郷が恋しいのだろう。」故郷の心が、強くわくのである。
    (ハ)たちばなの花さくなべに ───「たちばなの花が咲くとともに、さも季節を知っているかのように、ほととぎすが野にも山にも声高く鳴く」のである。そこで、「ほととぎすよ、気をつけてあのたちばなのいい花を散らすのではないぞ」とよびかけているのである。
  (ニ)そこにさぎらふ─── 美しい「木の国の牟婁の海山」を「そこ」とさしたのである。
    (ホ)ひなぶりの山のたばこ───  木こりやしばかりの人々がすう「いなかびた山たばこ」つばきの葉でたばこを巻きそれを吸うので、一種の葉巻たばこのようなものである。
  (へ)ただつれづれに ……… ただ、ひまにまかせて散歩などで行ける所ではないから、そこらでなんとはなしに帰ったというのである。
  (ト)ちりの世をはなれ小島「はなれ」は俗塵にけがれた世をはなれたという動詞の意味と、はなれ小島という名詞の意味との懸詞(かけことば)なっている。
  (チ)かつは聴け。─── 「一方にはまた傾聴せよ。」というのであって、すなわち、鯨捕りの人の話も聞かれようし、一方また自然の声、すなわち 松風や波音を聞けよと望んでいる。
    (リ)贈らばや都の子らに。───  都の子どもたちに贈りたい。
     前後を補っていえは、私は貝がらをたくさん集めて、それをこの歌にそえて都会の子どもたちに贈りたいというのである。
 (3)この詩の作者はなぜ「いにしへの帝王たち」とよんだのであろうか。これはおそらく、古里への思慕とともに、作者の心の奥に、もよおされた古典思慕の情にも通じ、やがて「日本書記」や「万葉集」などに見られる表現や古事に及んだのであろう。
 次にこの「 ………帝王たちも通はしし尾の上のみち」についてのべておきます。
 神武東征において大和奥地への進撃路として熊野路が選ばれ、また、日本書記や万葉集は斎明天皇や文武天皇が牟婁の温泉、今の田辺湾に近い白浜の湯崎温泉に行幸なされたことを記録しています。
 しかし、ここでは平安朝以後の熊野御幸(くまのごこう)を主としていったものでしょうか。すなわち、和歌山県東牟婁郡の地は、古くから宗教的聖地としで開けました。本宮(熊野坐神社)、新宮(熊野速玉神社)、那知社(熊野那知神社)を熊野三山(三社・権現・三熊野)と称し、そのもとは、太古、出雲民族が植民してきたころ、本国出雲の熊野大社を分けて祭ってきたものですが、平安朝にいたり、そこに仏教特に密教色彩が濃にとり入れられ、更に修験道(しゅげんどう)が加って、ここ神仏兼修の一大霊場が建設されたのでした。沿道九十九王子を巡拝しつつ、都人士は「蟻の熊野詣」の名のとおりに押しかけ、繁栄を極めたものでした。特に朝廷の尊崇あつく、天皇の行幸はなかったが、宇多法皇の延喜七年の御幸を始として、花山法皇一回、白河上皇九回、鳥羽上皇二十一回、崇徳上皇二十八回、後白河上皇三十四回、後鳥羽上皇二十八回、後嵯峨上皇二回、亀山上皇一回、こういうように多数のいでましを迎えたのです。したがって常に朝廷方に味方し、そのために承久の乱後 は幕府の厳重な監視下におかれるようになって、次第に政治的勢力は衰えたが、宗教的にはいよいよ 栄えて、江戸時代の俗信仰にまで発展していったのでした。

学習の発展

 (1)地図によって、紀伊半島の詩に歌われている場所を調べてノートに書きなさい。
 (2)次の問題から、一問題を選んで書いてみなさい。
  (イ) 「望郷五月歌」を読んだ感想文。
  (ロ)  幼年のころの思い出でについての詩、または文。
 ○参考の発展
 ♦◇作者 佐藤春夫は、明治二十五年に和歌山県東牟婁郡新宮市の医家に生れた。新宮中学を卒業してから上京し生田長江や与謝野寛を師として詩文を学んだ。明治四十三年九月、慶応義塾大学の文学部に入学し、雑誌“三田文学”“スバル”などに小品や詩を発表し、大正五年夏、神奈川県都築郡中里村に住み、翌年五月に書きあげた小説「田園の憂鬱」は、当時の文壇に反響をよび、その文名をうたわれるようになった。数年後、その姉妹編「都会の憂鬱」を出版した。 

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