将軍 徳川家康の知恵
徳川家康が征夷大将軍に任ぜられ幕府を開いてから, 徳川慶喜の大政奉還で幕府滅亡(1603〜1867)までの江戸時代は, 日本はおろか世界でもまれな平和で安定した時代であった。 現代の厳しい世界の国際情勢の中, 日本は今, ともかく平和で安定した時代で,江戸がブームとなっていて江戸再発見の時。徳川宗家18代が書いた「江戸の遺伝子」なる本はかつてベストセラーにもなったことがあった。
平和と安定の江戸時代
1603年江戸幕府の成立後, 1615年大坂の陣の最後の戦争が 終わって元号は「元和,"げんな"」と改まった。その後はキリシタンと農民の一揆, 島原の乱と, 由井正雪の慶安の変だけである。
「徳川の平和」と呼ばれる江戸時代の幕開けは,徳川家康の理念・意志によるといわれる。家康は,人質生活から三河の統一, 16歳から58年間にわたる戦争体験,秀吉への臣従と五カ国支配,関東統治を契機として戦国大名から近世大名への脱皮,秀吉の五大老の中でも諸大名の信望を得た。
江戸幕府は一国一城令, 武家諸法度, 禁中並公家諸法度, 社寺諸法度などを公布して, 朝廷・大名・ 国内政治勢力を一挙に幕府の中央集権支配下において絶対主義的国家の政府に近い性格を持った。
このように封建社会の再編成と,家康による士農工商の身分制度の確立, 儒教思想の採用(朱子学林羅山から始まる)と家光時代の鎖国令とによって, 以後日本独自の体制の時代が作られていった。
戦争はなかったものの 信長・秀吉のとき, 世界の大航海時代に日本も乗り出す切っ掛けをつかんだのであったが遠のいて行った。また, 都市に住む町人の身分が社会的に低いため,どんなに富を得ても幕藩体制に寄生して得た物にすぎなかった。そのため 近代資本主義の成立を困難にさせ, 次の時代の明治を待たなければならなかった。徳川時代がつねに人口3200万人ていどであったことは,少数の武士階級の経済的基盤が農民の生産する米であり, 農業経済にもとずく封建制の農民主体の社会が停滞を余儀なくさせた。
家康, 征夷大将軍となって 幕府を開く
征夷大将軍は律令体制下では令外官で, これは蝦夷征伐の最高指揮官であり,臨時職であった。蝦夷鎮定後廃絶されたが,源頼朝が自らの覇権を権威づけるために,武家の棟梁にふさわしい官名として征夷大将軍を望んでいたことを,「吾妻鏡」で読んで,頼朝を尊敬した家康が同じ選択をして将軍となった。また, 家康は従一位,右大臣の位であった。その上には太政大臣しかない。あえて格下(四位)の征夷大将軍を選んだのである。そして就任2年後将軍職を秀忠にゆずり,将軍職を徳川家で世襲する姿勢を天下にしめした。家康は駿河に隠世後も大御所として幕府の実権をにぎり,秀忠の名の下に様々な改革をおこなった。
家康の政治
家康の政治方針は「小さな政府」と「平和維持」であり,政府の仕事の大半を民間委託でまかなった。職制は簡単で,役職数も少ない。諸藩の政治機構も幕府を見習った。
(注50万の江戸庶民に対する犯罪専門の警察官は,南北町奉行所合わせて28人の同 心。あとは司法・民政の担当者で純粋な警察官ではなかった。廻り同心は,1人当り1万8000人の江戸庶民の保護に当たった。犯罪が少なかったのだ。今日では警察官 1人当たり3000人の市民保護である。)
一方, この時代の世界は, オランダの商業覇権と英仏の追いあげ(17世紀), 絶対王政から市民革命による内戦や対外戦争・産業革命(18世紀), ナショナリズムと自由主義の開花や労働運動と社会主義(19世紀)。まさに激動の連続であった。フランス革命では国民2300万人中200万人の犠牲者が出たといわれる。ナポレオン戦争ではヨーロッパ中に戦乱が拡がった。欧米列強の世界進出で,アフリカ・アジア・アメリカが植民地化し,原住民の人権は蹂躙された。
家康のリーダーシップで進められた業績
1. 外交 宣教師を召出しスペインの東西の基地・フィリピンとメキシコ間の交易に参加することの仲介を要請。1600年ウィリアム=アダムスとヤン=ヨーステンを 召し出す。アダムスに西洋式外航船の建造を命ずる。1604年朱印船制度をつくる。糸割符制度をつくり特定商人に生糸を安値で一括購入させる。朝鮮国交回復, 中国と民間ベース貿易, キリスト教禁止令。
2. 様々な人材の採用 天海,崇伝,林羅山,アダムス, 大久保長安(財政・金山),茶屋四郎次郎(京都の豪商), 元結(足利学校学頭), 領国拡大ごとに新しい人材を使って強力な軍団をつくる(今川,武田,北の家臣団)
3. 全国的な治水工事 直轄領, 各藩に命じたもの。
4. 農業・土木・建設・経済の発展 農業生産力の向上,都市の発展(城下町),街道の整備, 貨幣経済(慶長金銀)の発達, 江戸上下水道の整備 等。
5. 法 法度で幕府の政治姿勢をしめす。
6. 活字・出版 活字印刷による出版, 伏見版,駿府版, 儒書, 史書, 仏書, 医書
家康の眠る日光東照宮は
世界遺産となる
家康は元和2(1616)年4月17日75歳の生涯を終えた。棺は久能山に埋葬されたあと,元和創建と寛永大造営によって現在の日光東照宮に納められた。総工費は約2000億円,徳川家の私財である。宮号は東照宮,神号は東照大権現。(宮号は伊勢神宮,熱田神宮など皇室関連と菅原道真の天満宮と東照宮のみ。)この日光東照宮は, 今日世界遺産となっている。