マーク=トウェン西へ行く
西部、ゴールドラッシュに沸く
1848年1月、一人の男がサクラメント渓谷の水車用水路で金を発見した。そのニュースはたちまちアメリカから、よその国々にまで伝わった。「川床の砂から砂金の粒を洗面器の中でよりわければいいんだ。シェラネバダ山脈へ行って一財産作ってこようや」という訳で、開拓者も都市の労働者も、ゴールドラッシュに乗り遅れまいと、われもわれもと仕事を捨ててカリフォルニアに急いだ。ヨーロッパの各地からも数千人がやってきた。このゴールドラッシュが去ると共に、それらの町はみなゴーストタウンになってしまった。
このゴールドラッシュもそろそろ終わりに近い頃、人ぞ知るアメリカの生んだ文豪マーク=トウェンも幌馬車で西部を横断してネバダから鉱山地帯へと行った。彼の体験を通じて当時の西部のありさま、幌馬車の旅、ゴールドラッシュの鉱山などの様子を紹介してみよう。
マーク=トウェンと幌馬車の旅
マーク=トウェンは1835年ミズーリ州のフロリダで生まれ、同じ州のハンニバルで育った。彼の生まれた頃、ミシシッピ川の西には、まだミズーリとルイジアナと二つの州しかなく、この地方もまだ開拓の途上にあった。彼が作家として出発するまでには、夢と冒険を追って活字工、蒸気船のパイロットなどの職業につき各地を転々とした。やがて1861年、リンカーンが大統領に就任して、ほどなく南北戦争が始まり、ミシシッピ川の運航は止められ、彼はパイロットの職を失った。
軍人にもなってみたが、まもなくそれを止め、アイオワ州にいた兄のオライオンのところへ行った。合衆国は西へ西へと新しく地域が広がりつつあった。西へ西へと進むにつれて、一軒の家もトウモロコシ畑も見えなくなり、まるで緑の平原が世界の果てまでつづいているかと思われた。昼間はむやみに暑くて、裸になっているのだが、夜になると急に温度が下がり、彼らは服を着て毛布にくるまって眠った。
ある朝、彼らは北アメリカの大草原にすむモルモットの一種といわれるプレーリードッグの集団とカモシカ、コヨーテなどが草原を走り去るのを見た。「コヨーテって骸骨みたいにやせこけて、いかにも不仕合せそうな動物だなぁ――。」と彼が言った。「うん、年中腹をすかしているんだろう。だが獲物を追う時はめっぽう早いっていうじゃないか。」と兄のオライオンはその灰色の狼のような動物を見送りながら云った。
数日間大草原を走り続けて、オーバーランドシティという町に着いた時には、なんだかひどく町が珍しく感じられた。草原はやがて砂漠となり、はえているのはヤマヨモギだけになった。ヤマヨモギは、とげだらけの低い灌木であった。
砂漠のはるかかなた、空と地平線の接点に、ポツンと黒い点が見えてきた、と思うとたちまちそれはぐんぐんと大きくなり、馬に乗った人の姿がはっきり見えてくる。馬のひずめの音が聞こえてくる。前かがみになった騎手、風のように走る駿馬が馬車に迫る。彼らは馬車の屋根で手を振り、ワーッと歓声をあげた。騎手もそれに答えて手を振った、――と思うともう次の瞬間には人と馬は馬車のわきを走り去り、たちまち遠ざかって行ってしまった。それはまるで幻のような速さであった。
「すばらしいなあ! 」と若い彼には早馬速達の騎手が、英雄のように思われた。これこそ男らしい、日々が緊張に明け暮れる生活ではないか。自分もそんな生活がしてみたいと彼は思った。
しばらくたって1869年5月10日、最初の大陸横断鉄道の2本のレールが敷かれた。それは合衆国の歴史上偉大な瞬間であった。サンフランシスコでは祝砲がとどろき、各地で盛んな祝宴が催された。このような鉄道の完成は多くの開拓民を西部に運んだ。
そして、今……
昔書きためた文章を今読むと、感想はもっと複雑である。神わざのように雄大な自然の大草原がハイテクの技術を駆使した大企業のビル群に変わり、野生の生き物たちは絶滅し、または家畜化され、かつて科学の成果に純粋に興奮した人間たちは人類の勝利に酔っている。草原をわたるあの香しい緑の風、黄泉の国のように深い夜の闇はどこへ消えたのか。そしてこれを進歩・発展というのだろうか。