学ぶことの意味
高校科目「現代社会」の教科書の初めに,高校教科を「学ぶことの意味」について次のように書かれています。
「高校の教科は,社会の一員としての知識や, 技術の基礎を学ぶためだけのものではなく,人間としての正しい生き方, 善い生き方について学ぶことに深い意味がある」と。
これこそが高校学習で学ばなければならないもので, これが真の目的とさえいえるものです。
人間として生まれたからには,この正しい生き方, 善い生き方をしなければなりません。本能のままに生きる動物と,人間との違いはこのことによってなのです。人間は, 動物と神仏の中間に位置するものと思って, 如何に正しく善く生きることができるかについて深く考える必要があります。
これは, 若い時代のなるべく早い時期にしっかりと考えなければなりません。
人間は考えるために生まれている
17世紀のフランスの哲学者パスカルは,「人間は考えるために生まれている」といいました。では何を「考える」のか。
それは人間として正しく善く生きるために,まず,自己と人生と現代社会が抱えている無数の矛盾や不正について懐疑し「考える」のです。疑問を発するのです。自己に疑問を課して深く「考える」,これなくしては精神の形成はあり得ません。しかし,取り上げた疑問に直ちに解答が得られるものは一つとしてないかもしれません。そのために迷い,絶望する。しかし,この若い時代に迷い,絶望しながら「考える」このことこそが絶対に必要なのです。
人間の理性はこれによって生まれるのです。そして理性は願いとなり,また祈りともなって, このようになってほしいという心からの願いが祈りとなります。この祈りの一念が人間にとっては大切なのです。今日の世の中では, 如何に善く生きるかについて考えることを怠りがちです。多くの人は人間として生まれた意味を自己に問おうとしないで,生きていることが価値だと思っているようです。これでは困ります。
自らの精神性以外の経済的価値などをただ求めて生きていては,人生の幸福など絶対につかみ取れません。 経済的な豊かさだけを追い求める社会はいびつな社会です。みなさんの一人一人がおかれた現実と来るべき未来について深く思索すること── これが善く生きるための哲学への道のはじまりなのです。
どうか学習を通じて, 又, 日々の生活において, 人間としての理性と感性を磨き, 高潔な品性・品格を養ってほしいと思います。[ 指導部 ]