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宇宙の中のひとりの存在

ソローの[森の生活]

 森に閉じこもった人物として知られているアメリカの作家ヘンリー・デヴィット・ソロー(18171862)の場合、彼の生涯そのものが、ひとつの孤独の実験であった。彼は森の中の池のほとりに小さな小屋を建て、23ヵ月にわたってひとりで住み、孤独な生活をじっくり味わい、孤独であることが人間にとって如何に大切であるかを体験を通して語った。それは彼が28歳の時のことである。土地は14歳年上で、いろいろと彼の面倒を見てくれていたラルフ・ワルドー・エマーソンの所有地を借り受けたものである。間口3メートル、奥行約4.5メートルという小さな家で、2つの窓があり、レンガ造りの暖炉が備えられていたが、彼は、家の中を飾りたてることには全く関心がなかった。
 「すべてをシンプルにせよ」という彼のモットーからすれば当然のことである。家具の備わった家に居るくらいなら、むしろ野に座したい、と彼は言う。彼は自給自足の生活をめざして畑を耕し、空豆、ジャガイモ、トウモロコシ、エンドウ豆などを栽培する。
 
 彼の場合28歳という若さが、孤独に耐えるというよりもむしろ、孤独を楽しむ力となっていたと言えるかもしれない。孤独を楽しむには活力が必要である。内にあふれる生命の力があれば、それだけで十分に人間は生きてゆくことが出来る。しかし、そういう力のおとろえた老人の場合、孤独の中で生きて行くことはむずかしくなるものではなかろうか。
 と言っても、ソローは、完全な孤独の中で生きていたわけではなかった。本を読み、詩やエッセイを書き、森の中を散歩し、畑を耕し、池で水あびをするという、他人にはなんとも優雅に見える生活に欠けているものがあるとすれば、ソローと言えども、時には人に会いたくなることがあった。
 彼が住んでいたウォルデンの池のほとりは、コンコードの町の中心から2.5メートルほどしか離れていなかったのである。彼は世捨て人のような生活をするつもりはなく、時々町に出かけ、人々の噂話に耳を傾けたり、日雇いの仕事をしたり、ときには講演などもしたり或いは2週間も森の家を留守にして旅行に出かけたりもしているのである。
 
 要するに彼はひとりになりたいときは、ひとりになり、人に会いたいときは会うことが出来るという自分勝手を押し通せる、気ままでわがままな生き方を求めて森の中での一人暮らしを選んだのである。ソローが森の生活から我々に訴えかけるメッセージは、すでに昔から言い古され、誰もが知っているはずの知恵にすぎない。
 孤独についてのソローの考え方を最もよく示しているのが、次の文章である。
「しばしば私は聞かれる。あんな所に住んでいて淋しくはありませんか。雨や雪の日の夜などは、皆のいる所へ行きたくなりませんか、と。これに対して私はこう答えたくなる。--私たちが住んでいる地球全体は宇宙の一点にすぎない。望遠鏡では厚みもない点にしか見えない。はるか彼方の星では、一番遠くに住む者同士はどれくらい離れていると思いますか。なぜ私は淋しく感じなければならないのでしょうか。人間を仲間からへだてて孤独にさせているのはどんな空間でしょうか。いくら足をはこんでも、ふたつの心を近づけることが出来ないことを私は知っています。」
 この地球上のどこに住もうと、人間ははなればなれになることはないのだ。どんなに離れて住もうとも、この惑星の中のことである。月まで行く宇宙飛行士も地上と交信している限りひとりぼっちではなく、宇宙船からソローのような目で地球と地球に住む人々を見ることが出来たとしたら、少なくとも孤独についての見方が一変することになるに違いない。そして地球上に住む限り誰も孤独ではないことに気づくと同時に、この宇宙に於いて自分自身はたった一人の存在であることにも気づくにちがいない。自分はこの世にひとりしかいないのだ。そういう意味では人間はすべて孤独である。
 

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