古今第一の行書
中国の歴史において、書でもっとも高い地位を占めていて書聖と言われているのが王羲之(307〜365?) です。山東省の生まれで、東晋の政治家であり能書家。字は逸少(いつしょう)といい、官名により王右軍ともいわれました。
蘭亭叙冒頭の永和9年(353)浙江省の蘭亭に江南の貴族四十一人が集い、禊ぎの儀式を行った後、流觴曲水の宴を開き、詩酒に興じ、そのとき成ったといわれる詩集の序文を「蘭亭叙」といいます。叙を序としていますが本来は叙です。これは王羲之四十七歳の時の書といわれていて、古来、行書の手本として、また内容とともに最も高く評価されてきたものです。
「蘭亭の宴」 は、この宴以前の西晋末に開かれた石崇の集会「金谷の宴」を摸したものといわれています。 後に、この真蹟は唐太宗皇帝崩御の際、陵墓に副葬され、現在伝わるのは全て臨模されたものと拓本です。
この蘭亭叙には真偽の論争があって、王羲之卒後二世紀後にこの名称で前半が出て、全文が現れたのは三百年後の唐650年頃です。
書道史の変遷の観点から考察して、書体では王羲之の時代に隷書体を既に脱却していたか疑問もあって、叙帖の多くが真行草模範という形となっていることから蘭亭叙は智永の作という説もあります。
日本の万葉集巻五にある大伴旅人が筑紫で行ったといわれる「梅花の宴」は、この「蘭亭の宴」を摸したもので、日本における詩宴の初めといわれています。これには大伴旅人・山上憶良らの歌が32首入っています。
822 我が国に 梅の花散る ひさかたの
天より雪の 流れ来るかも 大伴旅人
818 春されば まづ咲くやどの 梅の花
ひとり見つつや 春日くらさむ 山上憶良