東京教育学院に学ぶ目的
「学ぶ」ということについて考えてみよう。
先ず、「何故<なぜ>」「何を」「どのように」学ぶか。
そして、その「目的」「対象」「方法」について考え、次に「いつ」「どこで」という時・場所 等に分けても考えましょう。
人間が知識学問を求めるということは、自然のことであって、それは限りないものです。
このことはわたくしたち人間にとって大きな喜びであるとともに、また困難なこともなる場合があります。ですから「学ぶ」ということは、人間の特権であるとともに宿命でもあります。このようなことから、知識は知識のために求めるということもできます。
また、これとは異なる見方で、知識は生きるために求める、という場合があります。これは、人間として生きていくうえで必要な物(居・食・住等々)を得るための貨幣と交換するものとして求めるという場合などです。つまり就職、あるいは資格試験合格等々によって生活をする目的で学ぶ場合などがこれにあたります。このようなときに注意しなければならないことは、知識を求める、学ぶということを、このような経済的な目的達成においてのみもとめるのではなく、直接自分の「魂」心にふれるような、揺り動かされるような知識・教養を学んで、自らの精神を向上させて、2足歩行の人類が神と4足動物との中間に位置し存在して、古来より務めてきた人間としての品性・品格を高めて、人格の確立に向けてさらなる努力をし、その完成に近づけなければなりません。
しかし、世は情報化・グローバル化が進行し、ネット社会となって、AI化、そして宇宙時代の近きを思わせ、すべてが経済優先で、今日哲学的・文化的意識が低下し貧困化しています。
人間の生活は、ただの欲望のみの生活ではなくして、精神の生活がなければなりません。これには無形の知識を欠くことはできないということです。
そして、人間としてこの世に生を受けたものとして、社会へ貢献にも努めなければなりません。職業に、利得に役立つ知識のみを求める者は、人間としての精神生活の意義を認めることができません。
このようにわれわれは、先ず知識において求めるものを明らかにし、あらゆるものから最大の収穫を得ることを常に念頭において、学ぶ内容の深さをよく理解し感じ取って学問する意思を強固に持って先進努力することです。